ふさぎガチ

オギエッセイ#15(終) ”過酷に生きる”のは大変だから”緩く生きる”でどうでしょう?

2022-10-19

ないがしろにされるのが嫌だ。
軽率に扱われるのが嫌だ。
向き合った相手の気持ちを尊重したい。
二人の将来を考えながら生きていきたい。
そんな事、わざわざ言わなくても誰だって想像がつくものだと思っていた。

しかし、この世には人の気持ちを想像できない人が沢山存在する。
そんな相手に心を持っていかれ、時間を消費するのが馬鹿らしくなった。

恋愛感情に含まれる様々な想いは、美しくて素晴らしいものとは限らないではない。
好意が暴走すると、相手の悪い所も、自分の悪い所も見えなくなる。
人を求めて、通じ合えない経験を重ねて学んだのは、自分の恋は"通じ合えない人"に対しての好奇心と執着心なんだと思った。
好奇心と執着は愛情のフリをする。

美しく素晴らしい正論だけで成り立っているパートナーシップはそうそうないのではないかと思う。
よそのパートナーシップが理想の関係に見えても、傍からはそう見えるだけで、正論だけではやって行けない事がある事の方が多い。
社会悪とされる不貞だったり、パートナーにも言えない秘密があったり、虚勢や悪意のない嘘だったり。
それでも相手を慮りながら、正論と理性と本能の帳尻のバランスを取って、誰かと生きていく事を選んだ人達がパートナーシップなんだと思う。
それは妥協ではなく、現実を知ることだと解釈した。

"悟ってる"とか"悟ったような事言っちゃって"と言われる事が多けど、自分の中ではうまく自分を許せる事が上手になっただけだ。
幸い尊敬する人やお手本になるような人に囲まれて育っていなかったし、生まれ持った環境といくつかの選択に影響された自分の人生を上出来だと思えている
自立した18歳までの、"人から与えられる時期"と、不可抗力の障害の時期を過ぎて、自分の人生の舵取りが本当の意味で出来るようになった30歳手前で、自由を感じた。

沢山失望もしたし、金とか人懐っこさとか無垢な感じとか失ったものも沢山あるけど、「恋愛はこうあるべき」「人はこうあるべき」みたいな凝り固まった理想が崩れた時に、人生のボーナスタイムに突入しました。そう、自分は今ボーナスタイム中。もうこの先何を選んでどう生きてもOK!って決めました。

昨日今日好きになって身体を寄せただけで分かりあった気になった人を大事にする前に、ずっといる友達を大事に。
嫌われようとはしなくていいけど、自分を削ってまで好かれようとしなくても大丈夫。合わない人に合わせてもボーナスタイムロス。
自分を愛せればベストだけど、できない・はずかしいとかもあるだろうから、「上出来上出来」と自分許せるようになる。
他人がどういう人生を歩んでどう生きてるのか全てを知らないのに、気安く他人を羨ましがらない。妬まない。
自分は世界の主人公ではないので、成し遂げなければいけない事なんてない。(納税とかの義務はちゃんとしなよ)
家族は血がつながってる他人くらいに思う。絶縁しても特に問題ない。
なにかを始める時、普通の人はそうしないんじゃないか…とか考えない。自分のしたいことをするのは自分だから。

そんな風に考えて、外の世界に心を乱されない日々を過ごせてます。
割りと考え方一つでいくらでも人生は楽しくできる。

※おぎは中卒なので起承転結とか文法とか全然ぐちゃぐちゃなんだけどお付き合いありがとうございました。

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