ふさぎガチ

たぶん、合う人なんていない。

2022-08-02

つい先日誕生日を迎え、36歳になりました。

ありがとうございます。

お礼は先に言ったんでプレゼント待ってます。主に換金性の高いものでお願いします。

齢も30を過ぎたあたりから、自意識、自我、自己肯定感、自信、自尊心、自己愛、そういった“自”のつくものが高まってしまって、おそらく元々精神的質量の過多な人間ではあったと思うけれど、自重で崩壊しかけているようだとたまに感じる。もう少しでブラックホールにでもなるんじゃないかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやさ、ババアって厚かましいし我儘じゃん。自分もそうなってんなって話。

 

 

 

 

 

 

 


だからこそ最近特に思う

 

 

 

 

 

 

 

たぶん、合う人なんていない。(タイトルコール)

 

 

 


裸一貫で突っ込んで行って“合う”人なんていないんだろうなって。極端に言えば、相性が合う、気が合う、価値観が合う、そんなものは全て幻想か勘違いだと。知能と知識や経験が同程度なら話もスムースだよねって件はちょっと置いとく。勘違いの上に勘違いを重ねて生きてるに過ぎないんだろうと。

ごめんごめん、こう書くと物凄く悲観的な話をしてるように見えるかもしれないけれど、そうじゃない。

己と他者の境界線がある以上、違いが生まれるのなんてのは当たり前で、ちょっとした差異が摩擦を産み、それがストレスになっていく。
こんな極東の大体みんな同じような見た目をしてる人ばかりの小さな島国で育ってしまったからなのか、webの発達による所謂“共感の過食症”からなのか、わからなくなってしまっている人が多いように感じる。

本当は僕たち、同じ人間だけど違う個体なんだったよね。って。

ありのままの自分を受け入れ、肯定するのは他の誰でもない、自分自身。そんな事は他の誰かにやってもらう事ではないって。

だから僕たちは人を、他者を思いやるんだろう。慮るのだろう。その為に理解しようとするのだろう。自分の居場所を確保しながらも少しだけ誰かの為にスペースを空けて、お互いがお互いの居場所になろうとするのだろう。

残念なことにきっと人間には元からそういう機能が備わってはなかった。何に配慮する訳でもなく、ただ自分勝手に過ごして誰かの居場所になれる事なんてない。と最近特に思う。

気を使わなくていい関係…そんなのは一つの勘違いでしかない。気を使わないんじゃなく、気を使う部分が合ってるとストレスも少なく気持ちいいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

だから我儘な事ばっか言ってんじゃねえぞババア(自戒)

 

 

 

 

 

 

 

あとメタ認知って大事だよみたいな話をしようかと思ったけど疲れたから今日はこの辺で。気になる人はggrks。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今体調悪いんだけど検査したら新型コロナじゃなく、ただの風邪なんだって。ウケるよね。逆張り鼻声マンのもんちでした。