オギェッセイ#01 いらっしゃいノートパソコン
2022-01-06
少年おぎ。15才。家にノートパソコンが来た。
母親が当時、仲良くしてた人から貰ったNECのノートパソコンだ。
当時のノートパソコンは、4枚切りトーストより厚くて重く、Windowsも95とかそのあたりだった気がする。
学校にもパソコン室などが設置され、月1回くらいパソコンの授業があったが、当時使いこなせる先生方も居なかった為、もっぱらペインターで絵を描いたり、マインスイーパーで遊ぶくらいしかなく、ちょっとギークな子がエロゲのフロッピー持ち込んでキャッキャ騒ぐくらいしかする事がなかったのを思い出す。
そんな時代に家にノートパソコンである。
「インターネットを手に入れた…」
当時の自分はさぞ高揚していただろう。
なにせ、インターネットを手に入れてしまったのだから。
早速私は、本屋で「ホームページの作り方」的参考書を購入し、当時主流だった「個人ホームページ」の制作に着手した。
最初はBBSもなく、ファッキン双方向性! アタシを知りな!!的なサイトだった気がする。「気がする」で濁したが、サイトだった。と断言できる。
その齢の子なら、だいたいの人が通る、自己肯定感爆上がりキャンペーン中~勇者マインド大放出期間だったので、もちろん裏ページ(クリックできなさそうな所でクリックするとちょっとエッチな画像が並んだギャラリーに飛ぶ)も作った。あの頃にtwitterが無くて本当に良かった。
ありがとう。インターネット明瞭期。
その後、個人ホームページ制作者なら皆通る、BBSやチャットルームを設置し、個人ホームページ運営者となんとなくインターネットご近所になる。
近所にゲイはおらず、なんとなく学校に通いながら、モンモンとした日々の気持ちを夜な夜なインターネットにぶつける日々が続いて居た。
高校の進路をどうするか。となった時、漠然と自分で働いた金で早く自立したいな。とは思ってみたものの、周りが見る進路は「高校に行って地元の企業に就職」のような、夢とか期待をしづらい環境だったのでモデルケースもおらず、なぜそう思ったかのきっかけは忘れてしまったが、服飾の専修学校に入る事にした。
この学校が私立だった為、経済状況の良くなかった我が家では、国庫支出金から入学金を手配してくれたのだが、父親には本気で止められた。
お金がないと、人生の選択肢は狭くなる。
それを押し切って母親が応援してくれたので、その事を先生に告げると、なんだか遠回しな言い方で引き止められた。
その理由は入学してから分かったのだが、田舎の私立故、金さえ払えばまず落ちることはない学校だったので、色々と問題は抱えるが高校卒業の資格は取りたい。といったような生徒が多く、ま~、本気で服飾やりたいならここじゃないよな~っていう所であった。
(英語と数学が何故か小学レベルの公文式からスタートだったし)
(何故か体育はゴルフの打ちっぱなしだったし)
そんな状態の時に、ネットのご近所さん達とチャットしていると、
「気分転換に東京遊びに来てみたら?」
と誘われたのである。
その時のメンバーが、その後最初の彼氏となる山田(仮名)、クラブ界隈のおばさん連中には名の知れてる田中(仮名)、高音でミーシャを歌う佐藤(仮名)だった。
なんとなく今いる環境や日常に飽き飽きとしていた私は、二つ返事で東京行きを決め、人生初の一人旅に出るのである。